童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2024年3月31日

今年度が終わろうとしている。
結局、年度最終日だと言うのに朝から出勤して夜まで働いてしまった。
明日から新年度1日目の勤務日らしいが、全く節目は感じられない。

が、実はこの年度で同僚たちは何名か入れ替わりがあった。
他の研究機関へ移る人もいるし、新規採用などで入ってくる人もいる。
退職する人もいるし、昇任する人もいる。
新年度から執行部の顔ぶれも変わるようなので、割と変化は大きいかも知れない。
落ち着いているようで何となく慣れないふわふわした感じは、何とも春らしい。

思い返してみると、今まで春にガラッと環境が変わった時に、うまく馴染めたということがほとんどなかった気がする。
小学校に上がった時は、両親の再婚に伴っていきなりやってきた土地だったので、誰も知らないところからのスタート。
引っ込み思案な性格もあって、なかなか友達はできなかった。
中学では、もう思い出したくもない、苦難の日々。
学校では嫌がらせをされ、家に帰ったら着替えて母親の入院する病院に通っていた。
高校では、中学とは打って変わってぬるま湯のような学校の雰囲気に面食らって、うまくギアチェンジできなかった。
結局1年間違和感は続いて、クラスが変わった2年の時に、ようやく楽しいと思えるようになった。
大学では、最初のオリエンテーションで周りの人間に失望し、適当に表面上は仲良くしていたけれど、その時に知り合って今も連絡を取っている人は一人もいない。
こうやって考えてみると、今の職場は比較的うまく行ったほうかも知れない。
ある程度知っている場所だったと言うこともあるけれど、周りの同僚の方々に恵まれたと思う。

いつも思うのだが、「自分」は、他者や環境によって作られるものだろう。
家族と話している時の「自分」、友人と遊んでいる時の「自分」、職場での「自分」。
似ている部分はあっても、全部異なっている。
それで当然だし、自然なことだと思う。
けれど、新しい環境に身を投じた時、一時的に「自分」が見失われる。
周りに合わせて、手探りで「自分」を作っていかねばならない。
きっと今までの失敗は、焦って作った急拵えの「自分」が、気に入らなかったからなのだろう。

多分この先も、似たような環境の変化は何度も起きるに違いない。
そしてその度に、「自分」をモデルチェンジしていかないといけない。
そもそも、誰かと話す時、どこかで話す時、それぞれに「自分」は変わっていく。
僕にできることは、どの「自分」が好ましいと思えるか、を判断することくらいだ。
好ましいと思えない「自分」が現れる相手とは、多分距離を取ったほうが良い。
そう言うことに気づけるようになるのに、だいぶ時間が経ってしまった。