童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

オッペンハイマー

日記でも宣言していた通り、数日前に「オッペンハイマー」を観てきた。
昨年くらいから話題になって、アカデミー賞でさらに注目され、満を持しての公開だった。
クリストファー・ノーラン監督は、決して好きな映画を撮る監督ではないものの、どれも間違いなく面白くはあるので、楽しみにしていた。


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オッペンハイマー博士は、原爆の父と名高いアメリカの物理学者。
理論物理の分野で頭角を表して素粒子物理を研究する内に、原子爆弾を作るという国家プロジェクトを率いることになる。
物理を勉強していれば必ず目にするスター研究者たちと交流しながら、彼は原爆実験をついに成功させる。
かの有名な、ロスアラモス研究所で行われた人類初の核実験、トリニティ実験である。
広島、長崎の原爆投下を経て、彼は、良くも悪くも世界の有り様を一変させた人物となった。
そんな彼の栄光と、その後の歩みを描いた作品である。

最後、ネタバレを入れた上で感想を残す。
気になる方は、読まないことを薦める。

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2024年4月12日

昨日の夜は、前々から飲みに行きましょうと約束していた職場の方と初めてご一緒してきた。
この4月からペアになって働く人が代わり、かなり大変な目に遭っていると聞いていた。
なので、昨日の夜のほとんどは、それぞれの人の最近の苦労話、というか愚痴。
そうなる気がして中心街から少し離れた居酒屋を選んだおかげなのか、我々以外に他のお客さんも現れず、デトックスに専念した夜だった。

なぜかは良くわからないのだけれど、昔から良く愚痴を聞く立場になりやすい。
多分、僕が愚痴っぽいからなのだろう。
居室でも良く、今こんなことがあって困っているんだとか、さっき来たメールに腹が立ったとか、そんな話をしている。
別に深刻なつもりはなくて、腹に溜めないために吐き出しているだけ。
自分では、前向きな愚痴だと勝手に思っている。
だからなのか、別に居室の入り口に「よろず愚痴、伺います」の貼り紙をしているわけでもないのに、方々から人が集まってはみんな愚痴を吐いて去っていく。
上の立場の人も下の立場の人も、老若男女問わず現れる。
それくらい、現代人には毒が溜まっていると言うことだろう。

考えてみると、そもそも母がかなり愚痴っぽかった。
実家で暮らしていた頃は、良くそれを聞いていた。
祖母の介護が始まってからはそれに父が加わって、今や仕事場でも実家でも誰かの愚痴を聞いている気がする。
ここまで来ると、もしかすると自分には愚痴を聞く才能があるのかも知れない。
実際、あまりジメジメして洒落にならないようなものでなければ、愚痴を聞かされてもそれほど喰らわない。
愚痴は良くないと言う人も多いけれど、言語化することで整理されてスッキリすることは良くあることだし、それで明日も頑張れるなら良いじゃんと思っている。
ポジティブな愚痴って、多分ある気がする。
本当は、研究者ではなくてカウンセラーとかに向いていたのかも知れない、などと今更になって思う。

2024年4月9日

少し前に誕生日を迎えた職場の先輩に、プレゼントを渡してきた。
普段からあれこれとお世話になっているので、毎年何かしらお贈りしている。
イベント好きな方なので、パーティーグッズやらバラエティグッズやらを選んで渡してきたのだけど、今年は時間もなかったこともあって消え物にしてしまった。
それでも自分で使ったことがあるもので、かつオススメしたいと思えるものを選んだ。
喜んでもらえたら嬉しい。

人のプレゼントを選ぶのは、割と好きな方だと思う。
今回渡した方の他にも、何人か職場の同僚には誕生日プレゼントを贈っている。
その人の好みを考えたり、だけど自分らしさも出したかったり、その辺のバランスを取りながら選ぶのが楽しい。
自分では買わないけれど、誰かからもらえたら嬉しい、みたいなラインを攻めたがる。
あと、自分で気になっていたものをあえて渡して使い勝手を聞いてみたり試させてもらったりもする。
本当は誕生日じゃない時も好きにプレゼントを贈りたいのだけれど、流石にそれは怖がらせるので控えている。

逆に、プレゼントされるのははっきりと苦手だ。
まず、渡された時にどんな顔をしたら良いのか分からない。
嬉しい気持ちもちょっとはあるが、自分のためにコストをかけさせたことに恐縮してしまう。
その上、心の底からの喜びを見せられないのが、輪をかけて申し訳ない。
そして、これは本当に嫌なやつだと思うのだけど、人からのプレゼントが自分の好みと合致することがとても少ない。
何なら、これが好きだと思われているのだろうか…と相手の目に映る自分の姿にショックを受けることすらある。
誕生日だった場合、何だか1年間の自分の振る舞いの通信簿を受け取るような心持ちなのかも知れない。
ああやっぱり理解してもらえなかったのだな、と言う残念さが残っていく。

プレゼントを贈るのは好き、贈られるのは嫌い。
この非対称性は一体何なのだろう。
自分が苦手だと思うように、僕が誰かに渡した時もそう思われている可能性だって大いにある。
それでも贈るのが好きなのは、自分は相手のことをちゃんと理解できているはずだという驕りがあるせいかも知れない。
相手が僕を見る目より、僕が相手を見る目の方が確かだという自信の表れではないか。
身も蓋もない言い方をするなら、人よりセンスがあると思い上がっているのではないか。
そう思い当たったら、何だか恥ずかしくなってきてしまった。

2024年4月8日

早く「オッペンハイマー」を観に行きたいと思いながら、今日も達成できなかった。
やはり平日で3時間潰れると思うと、なかなか手が出しにくい。
上映時間が2時間半を超える大作が最近は多くて、映画のハードルが上がっている気がする。
確かに、その分きっちり楽しませてくれる作品が多いのは確かだが、ライトな映画ファンには辛いところだろう。
自分のように平日のレイトショーに行くような人間でも、観終わるともうヘロヘロになっている。

ワークライフバランスという言葉があるけれど、最近趣味の時間を楽しみながら、そのことを良く考える。
映画にしろスキーにしろ、趣味を楽しむにも体力がいる。
年齢を重ねて疲れやすくなってきた分、余計にそれを感じる。
読書やゲーム、果ては録り溜めたテレビ番組の録画ですら、こなすのが億劫に感じることがある。
仕事に疲れた現代人たちが、段々と無趣味になってスマホでぽちぽちガチャを回すことしかできなくなっていくのも無理からぬことだろう。
数年前に「花束みたいな恋をした」という映画で、就職した主人公が日々に追われて小説を読めなくなり、代わりに自己啓発本を読んだりぼーっとパズドラで時間を潰し始める描写があったが、何ともリアルな絵だった。
コスパやらタイパやらが重視されて、数年前よりも状況はもっと深刻になっている気がする。
自分も例外ではないと感じる。

こんな傾向が続くようでは、今素敵だと思っている文化芸術は、その内にどんどんと縮小してやがて死んでしまうのではないかという恐怖がある。
どこかで、もう一度、余裕とか無駄とか不要なものとかを再評価して向き合う必要がある気がする。
というところまで考えて、これはミヒャエル・エンデの「モモ」だと思い至った。
時間泥棒によって失われた時間を取り戻す少女の話。
「モモ」が出版されたのが1973年なので、すでにその時点で問題視されていたことなのだろう。
そして、未だその問題は解決されず、膨張し続けている。

2024年4月7日

地獄のような19連勤が終わり、ようやく休めると思っていたのだが、諸事情あって実家に帰ってきた。
実家に帰ると言っても何か働いたわけではないし、昨日は一日中少しも仕事はしなかったので、一応ちゃんと休みではあった。

土曜は、特別養護老人ホームに正式に入所が決まった祖母に会いに行ってきた。
前回会いに行った時には、在宅で介護していた時にもなかったくらいしっかりとした状態だったけれど、今回は全くダメだった。
僕のことも父のことも分からず。
半分寝ているような状態に近くて、土産で持って行ったお菓子を自分で食べることもできなかった。
仕方ないので父と一緒に口元に運んで食べてもらったけれど、最後まで我々のことはちゃんと認識してくれなかった気がする。
少し前に父が会いに行った時も同様だったようで、持っていった好物のハーゲンダッツの方が反応が良く、ついにアイスクリームに負けたなどと冗談めかして悔しがっていた。
反対に、ようやく介護から解放された両親の方は、だいぶ回復したようだった。
明らかに血色が良くなっていて、活動的になっているのを感じた。
先日温泉に連れ出したばかりではあるけれど、しばらくは運転手になって彼らの我儘に付き合ってあげたいと思う。

時間に余裕ができたからなのか、父はいつにも増して饒舌だった。
歳をとると自分の人生を振り返りたくなるのか、しきりと仕事場での人間関係の失敗の話をしていた。
息子の立場から言うのもおかしいのだが、父はかなり不器用な性格で、職もかなり転々としてきた。
決して人当たりが悪いわけではないし、むしろ柔和で話好きの男である。
ところが、とにかく間が悪い。
祖母の特養入所が決まった時だって、冗談のつもりなのか「次は僕の介護をよろしくお願いします」などと母に言って激怒させていた。
決して悪い人間ではないし、能力も高いのだけれど、どこか人の神経を逆撫でするようなところがあるのだ。
最後に働いていたところでは、彼を辞めさせるための運動が2度も立ち上がったのだとか。
別に犯罪を働いたわけでもなく、悪意を持って誰かを貶めたわけでもない。
息子の立場からすると、そこまでするほどか、と言いたくなってしまうが。
それにしても、そんな運動があってなお職場に平然と居座れてしまう鋼のメンタルは、我が父ながら尊敬に値する。
真似できそうにないが、見習いたいものだ。

翻って、自分にも多少父の血を感じるようなところがないこともない。
流石に人間関係がうまくいかなくなって辞めさせられるようなことは起きていないが、不用意な発言で人を怒らせてしまったことは何度もある。
けれど自分の場合、子供の頃から人の顔色ばかりをうかがって生きてきたせいか、相手がどう思っているかには敏感な方だ。
だから、相手の反応を見て軌道修正することはある程度できている…と思っている。
その点、父はその能力が絶望的なほどない。
昨夜も自分で苦手だと言っていて、一応自覚があったのかと驚いた(母が再三指摘していたからかも知れないが)。
今の年齢から父がこれから成長するわけでもなし、家族としては、仕方がないものだと思って付き合っていくしかないだろう。
一番身近な反面教師として。

2024年4月4日

ようやく忙しかった日々が落ち着いてきた。
書き物の仕事がだいぶ溜まっているけれど、とりあえず一旦体を回復させないと、すぐには取り組めそうもない。

日中に同僚のドイツ出張の話を聞いていたら、何だかどうしてもビールが飲みたくなってしまって、今夜は唐突に飲みに出かけてきた。
近所のクラフトビールが飲める店に入って、Kindleで読みかけの小説を開きながら、ソーセージとザワークラウトをあてに2杯。
一人だと色んな種類を飲んだり食べたりすることは難しいけれど、サクッと済ませられて良い。

数年前に一人で飲みに行く楽しさを覚えてからと言うもの、大きな仕事が片付いた時や極度のストレスを感じた時なんかはよく繰り出している。
ケチな心が働いて飲み過ぎないし、何よりストレスがない。
皿に残った唐揚げを食べて良いか考えたりしなくて良いし、空になったグラスを気にしてメニューを渡したりしなくて良い。
一人で飲みに行って帰ってくるといつも、全然疲れていないことに驚く。
裏を返せば、いかに飲み会で無意識下の気遣いをしているか。
別に自分が気の利く方だとは思わないけれど、それでも色々と考えてしまっているらしい。
誰かとお酒を飲むのもそれはそれで楽しいけれど、よほど気の合うメンバーでない限り、それなりの体力と精神力を要する。
純粋にお酒を楽しみたいだけだったら、一人の方がノイズが少ない。

今日も一人で楽しくビールを楽しんでいたのだが、近くの席が外国人のグループで、ずっと英語で同僚と思われる人々の話をしていた。
誰々さんはとても良い人だとか、誰々さんはミスを犯しているとか、誰々さんは頑張っているとか。
飲みの席でその場にいない共通の知り合いの噂話や評価をしがちなのは、日本でも外国でも変わらないらしい。
自分だって同僚と飲みに行ったら、そんな話ばかりしている気がする。
きっととても疲れる飲み会に違いない。
彼らは僕が店に入ってから出るまでずっと話していたけれど、閉店まで続けていただろうか。
今の僕にはないタフネスだ。

2024年4月2日

怒涛の16連勤のせいか、体が悲鳴を上げ始めている。
昨日は喉が痛くていよいよやばいかと思い始めたが、今朝持ち直したので少し舐め過ぎたかも知れない。
先ほどから原因不明の偏頭痛が始まって胃腸の調子もおかしい。
金曜まで乗り切れば、土曜は休めるはず。
もう一息、何とか走り抜けたい。

さて、体も勿論だが、心の疲れも深刻なようだ。
どうして分かるかと言えば、YouTubeでのハロプロ摂取の頻度が増加している。
いつも疲れてくると、カレーばかり食べるようになり、ハロプロばかり視聴するようになる。
特に、3日ほど前に公開されたBEYOOOOONDSの新曲「灰toダイヤモンド」があまりにも良かったので、毎日観てしまっている。


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作詞児玉雨子、作曲星部ショウという安定の布陣。
ハロプロ得意のキラキラファンク。
これで僕に刺さらないわけがない。
ビヨメンバーのバラエティ豊かなハイスキルが余すことなく発揮されていて、でも全然小難しくない。
シンプルに楽しいしキャッチーで、何よりメンバーが心から楽しそうにしているところが、疲れた心に沁み渡る。
一岡さんの不本意な卒業があってメンバーにもファンにも悲しみが残る中、それを吹き飛ばすくらいの名曲だと思っている。

BEYOOOOONDSは、ハロプロの中でも若い方のグループで、今のところメンバーの追加は行われていない。
デビューした頃こそ寸劇をして…みたいなちょっとトリッキーなことをしていたグループだったが、すっかりハロプロを背負える実力派人気グループに成長した。
僕の中でハロプロのベストグループはいまだBerryz工房のままなのだけれど、いま最もそれに通じるグループだと勝手に思っている。
あそこまでの強烈な個性と不安定な一体感(褒めてる)はないけれど、トンチキソングもこなせるスキルと懐の深さと度胸があって、メンバーどうしの戦友感が強い。
願わくば、このままメンバーの増減はせずに駆け抜けて行ってほしい。
そして、残念ながら途中で離れてしまった一岡さんも迎え入れて、10年後くらいに再びこの曲をパフォーマンスして欲しい。
タイミング的に、もしかしたら彼女もこの曲のレコーディングに参加していたかも知れない。
再結集の時には、その幻のパートを加えた完全版を披露して欲しい、と強く願っている。