シン・エヴァンゲリオン劇場版:||を観てきた。
自分でも単純だと思うが、久々の記事を書きたくなってしまった。
とは言え、実はまだ一回しか観ていない自分に、他の皆さんのようなレビューが書けるとは思っていない。
というか、初見の感想ですら、多くを素敵な書き手の皆さんが代弁してくれてしまっている。
今更自分なんかが何か書いて意味があるのか、と思う程に。
なので、敢えてネタバレを避けた形で感想を記しておこうと思う。
長年の推しである宇多田ヒカル氏による主題歌を通して。
最初の感想は、エヴァとともに育ってきた人生が幸せだった、ということだった。
追いかけて考えて勝手に傷ついて、友人と語り合って、家族に布教して。
10代後半で浴びて以来、何だかんだで楽しみながら、段々と大人になってきた僕自身の人生を何だか肯定してもらえた気がしたのだ。
旧劇のラストを指して良く言われる「オタクたちよ、現実に還れ」に対して、もうとっくに不可抗力的に現実を生きさせられているオタクたちへ「それでいいんだよ」と言ってくれたような。
それくらいに真っ当な作品だったと思う。
言うなれば、僕の人生そのものが伏線。
hatenaでも、シン・エヴァのレビューを複数読ませてもらったが、みんな自身のエヴァとの出会いから触れていて笑ってしまった。
それくらい、多くの同世代の人生に少なからず影響を与えたシリーズだった。
むしろ、語り部の人生の歩みを抜きにして本作を語ることができないほどに。
初日の劇場で終劇後に照明が戻る中、しばらく立てずに呆然と涙を流す人々が多かったのも無理からぬ話だ。
エヴァンゲリオンの終劇は、ある種の"死"だったから。
その葬列に、宇多田ヒカルの新曲「One Last Kiss」は本当に優しく響いた。
実は劇場でこの曲を聴いたときには、とあるキャラクターに重なって詩が響いて涙を止められずにいた。
実際、YouTubeのコメントを読んでいても、そうした指摘をされていることが多いように思う。
しかし、家に帰って改めてパンフレットに載った詩をじっくり読むにつけ、これはエヴァを追いかけてきた我々への鎮魂歌ではないかと思えてきたのだ。
他者との関わりを避け続ける臆病なシンジも、人間性の芽生えとその難解さに混乱するレイも、自身にかけた強すぎる呪いに苦悩するアスカも。
みんな僕という超具体的な存在の一面だと思う。
そして大人になるにつれて、ミサトさんが、リツコさんが、加持さんが加わっていってついに本作では碇ゲンドウその人も加わることとなった。
アニメ、漫画、映画を通した彼らとの邂逅は、まさに"忘れられない"ものとなって心の中に積もっている。
書いてて恥ずかしくなってくるが、それをキスと呼ぶならば、確かにそうなのかも知れない。
もういっぱいあるけど
もう一つ増やしましょう
Can you give me one last kiss ?
忘れたくないこと
Oh, can you give me one last kiss ?
燃えるようなキスをしよう
忘れたくても
忘れられないほど
シリーズを通して多くの作品が発表され、それがまさに自分自身との出会いでもあり、多くの人にとって忘れたくない、忘れられないものになっている。
その最後のキスが本作となるわけだ。
もう分かっているよ
この世の終わりでも
年をとっても
忘れられない人
これは、ほぼ自戒である。
この先何があっても、もう彼らを忘れることはできない。
忘れる必要もない。
彼らを背負って、また生きていくしかない。
「この世の終わり」と「年をとる」という虚構と現実が並列されるところが、とても宇多田ヒカルらしくて痺れる。
宇多田ヒカル氏自身もエヴァシリーズのファンを公言されていることから、こんな視点もあるかなと自分の感想と重ねて書いてみた。
彼女も、序の主題歌として「Beautiful World」を提供した2007年は20代前半だった。
それが今や、立派に一児を育てるアラフォー女性である。
彼女にとってもまた、シン・エヴァは、人生を振り返って何らかの区切りとなる作品だったのだろうと想像する。
20代で歌った「Beautiful World」を、現在の彼女がセルフカバーをした「Beautiful World (Da Capo Version)」も大変良かった。
シンジやレイのようだった彼女の歌声が、今はミサトさんと重なって聞こえる。