童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2023年10月8日

今日は休みらしく、仕事を1秒もせずに過ごすことができた。
本当はレビューを頼まれている論文に目を通そうかと思ったけれど、切り替えられないのは良くないなと鉄の意志で見なかった。

性格の問題なのか、休みの日でも、一日中部屋に引きこもってダラダラ何もしないと言うのがなかなかできない。
スーパーで買い物したり、映画を観に行ったり、近くの温泉までドライブしたり。
そこまでしなくても、近くを散歩したり、部屋の掃除をしたり、洗濯して布団を干したり、ちょっと手間のかかる料理をしたり。
とにかく何らかの活動をしてしまう。

しかし、同僚に言わせれば、それは休みではないらしい。
同僚曰く、何かをした時点で、すでにそれは「休み」ではなくなるそうだ。
掃除や洗濯くらい許されてもいいように思うが…
「休み」は、何かをしようと思ってはいけないらしい。
布団から出ずにスマホを眺めて昼を迎え、寝巻きのままでアイスを食べてYouTubeNetflixをダラダラ観て、カップ麺を啜って目的もなくネットサーフィンして飽きたらゴロゴロして寝落ち。
「休み」とはそういうものだそうだ。
自分にそれができるかと言うと、難しい気がする。

何もしないと言うのが何なのか、説明されても、実はいまだに良くわかっていない。
確かにどこかに出かけたりしているけれど、僕としては、それは何もしていないに近いからだ。
朝起きたコンディションでどこに行くかを決めただけで、予定されたものではない。
だから行ってみた先で目当てのレストランが閉まってようが、道が混んでいようが別に腹も立たない。
嫌だなと思ったらその時点で帰ってくれば良いだけの話なので。
もしかして、「何もしない」の対象フィールドの広さや種類が違っているだけで、あまり変わらないのでは?

何かすることが決まっている休日は、それはそれで好きだ。
この間の結婚式のように無駄に緊張するようなイベントはご勘弁願いたいが、友達と会う約束があるとかライブを観に行くとか、何となく1日を無駄なく過ごせたような達成感がある。
僕の大好きな宇多田ヒカル氏の「日曜の朝」と言う曲には次のような一節がある。

締め切りとか打ち合わせとか

やることがある方が僕は好きだ

日曜の朝

日曜の朝

  • provided courtesy of iTunes

締め切りとか打ち合わせとなると完全に仕事なので、まだその域には達せていない気がするが、でも何となく分かる気がしてしまう。
同僚に言わせれば、やはり「休み」が下手ということなのかも知れない。