童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2023年11月29日

仕事の後、「翔んで埼玉 〜琵琶湖より愛をこめて〜」を観てきた。
ここのところ、結果的にそう言う羽目になったすみっコぐらし含めて、割と真剣に観る映画ばかり立て続けに観ていたため、ちょっと肩の力を抜けるような作品を選んでみた。

言わずと知れたまさかの大ヒット作「翔んで埼玉」の第二段。
どのシネコンでも軒並み上映回が多く、注目度が高いことが窺える。
実は、前作の「翔んで埼玉」は結局劇場では観ずに、配信で観ていた。
とてつもない下らなさで、これを金を払って劇場で観たらどんな気持ちだろう、と少し興味が湧いてしまった。
と言うわけで今回は映画館まで足を運んだわけだ。

日本国民がふんわりと持っている各都道府県へのイメージを誇張して具現化、絶妙な配役でふざけ倒して、日本人限定の内輪ネタで固められている。
平成から令和にかけて日本を生きてきた人々を前提としていて、海外や子どものことは端から想定しない潔さ。
ある意味、究極の同時代性。
百年後くらいに日本の歴史を紐解くとき、この作品が当時の様子を知る良い資料となっているかも知れない。

とは言え、前作に負けず劣らず、流石の下らなさ。
こういう映画もあって良いかと思う反面、どこか悔しいというか、時間と金を無駄にしたようなちょっとした後悔が残っている。
でも、それこそが贅沢ではないか。
大人になって気づいたことだが、額に汗して稼いだ金を下らないことで浪費するのは、とっても気持ちが良い。
農耕と牧畜によって食料調達の懸念がなくなった時から、我々人間は、物と時間を浪費できるようになった。
生活に必要のないことも考えるようになった。
役に立たないもの、無駄なもの。
それこそが文化とするなら、無駄遣いこそ人間的活動の原点ではないのか。

ただ、映画に関して言うならば、本当につまらなかったり倫理的に問題を感じてしまったり、苦痛でしかない場合もあり得る。
その点で言えば、本作は実にちょうど良い無駄遣いであった。
心底くだらないものを観たはずなのに、不思議と豊かな気持ちになっている。
「翔んで埼玉」は、文化的な余裕を測るバロメータと言えるかも知れない。