童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2024年3月11日

昨日「落下の解剖学」の感想を書いたら、今日アカデミー賞脚本賞を獲ったというニュースが流れてきた。
確かにとても練られた脚本で納得の受賞ではあったが、あまり米アカデミー会員の好きそうな話ではないと思っていたので少し意外でもあった。
うまく言語化できないのだけれど、カンヌ国際映画祭パルムドールは自然に感じられるけれど、アカデミー賞受賞は何となく不自然に感じてしまう。
フランス映画だということを除いても。
偏見かもしれないが。

さて、今日は東日本大震災があった日から13年ということで、あちこちで特集が組まれていた。
自分は当時大学院生で、都内の建物の高層階にいた。
揺れが始まって、これは長いなと思っている内にどんどんと酷くなっていって、結構な恐怖感があった。
たまたま近くにいた大学院の先輩が、揺れている内に実家に電話をかけ始めて、揺れ終わる頃に「生き延びたみたい」と報告していたのが印象的だった。
その後、ほぼ電話は使えなくなったので、彼の行動は全く正しかった。
余震に次ぐ余震、電車はほぼ動かなくなっていて、自分も家には帰れなかった。
夜になるまで家族に連絡する術もなく、その時に、不特定多数に安否を知らせられるTwitterの重要性を認識した。
なので、いまだに僕のメインのTwitterアカウントは、本名のままである。

あの日から13年経って、今年は年明け早々から能登地震が起き、今は千葉沖で地震が活発になっている。
震災への対応がこなれたかと言えば、むしろ酷くなっているような気さえして、不安は全く尽きない。
この状況になっていることは、あの震災の多くの犠牲者が望まなかったことだろうと思えて、なんだか申し訳ない気持ちになる。
特集を組んで震災から立ち上がろうとしている被災者の方を見て思い出しても、アカデミー賞の速報が来ればすぐそちらに気を取られるくらいには、もう麻痺してしまっているのが本当だ。
今年のアカデミー賞は、パレスティナへの連帯を示すバッジを付けた俳優たちがレッドカーペットを歩いていたと言う。
13年前の震災だけでなく、今まさに起きている人災(ジェノサイド)にも目を瞑ってはならない。
そう思いつつ、目先のことに振り回されて、しかもそれを言い訳にしてしまう感じが、何とも不甲斐ない。