童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2024年3月10日

「落下の解剖学」を観てきた。


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昨年のカンヌ国際映画祭パルムドール
作家である主人公サンドラは、フランスの雪が積もる山荘に夫と息子と3人暮らし。
視覚障害を抱える息子が犬の散歩を終えて帰ってくると、山荘の前で父が血を流して倒れている。
悲鳴を聞いてサンドラが駆けつけるが既に彼は亡くなっていた。
事故か、他殺か、自殺か。
サンドラは夫殺害の容疑をかけられて裁判で争うことになる。
その法廷で、彼女たち家族の嘘や秘密が徐々に明らかになっていく。

夫婦、もっと言えば家族が直面する問題と、それへの対処の仕方で生じるメンバー間の軋轢や格差。
そういうものが、圧倒的な解像度で描かれている。
主人公はベストセラー作家だし、夫は教師をしつつほぼ主夫、息子はとある事情で視覚障害を持つ。
これだけ聞くと、何だか一般市民からはかけ離れた設定のように思える。
しかし、彼らの抱える問題は極めて普遍的で、濃度や背景が違うだけで彼らの叫びに似たセリフを現実で聞いたことのある人は多いのではないか。
自分の両親だって、似たような論点で口論をしているところは何度も見ている。
仕事と家事、子育て、自己実現、セックス…
人と人とが深く関わって共に暮らす以上、避けては通れない問題を孕んでいる。

ところが、法廷で争うという形式である以上、それぞれの視点から見た真実は、目的を持って語られる(あるいは語られない)ことになる。
つまり、「無罪あるいは有罪とするため」の証言となる。
その目的と矛盾する真実は、語られないか、嘘で歪められることになる。
しかし、本来、人間の感情や行動は矛盾だらけである。
家族間なんてその最たるものだろう。
どんなに無遠慮に罵り合っていても、同時に互いを尊敬し、愛することがあり得る。
さっきまで愛しいと思っていたのが、突如憎悪の対象になることがあり得る。
作中の法廷シーンで語られる言葉たちがずっと一面的で、そんな簡単じゃないんだよという引っ掛かりがずっと残り続ける。
そこにこそ、本作が逆説的に描きたかった人間関係の真実が表れているように思った。

昨日まで、ようやく祖母の介護から解放されつつある実家の両親を労うために実家に戻っていたせいか、何だか介護のことと重なて考えずにはいられなかった。
父は、本当に献身的に認知症の祖母の介護に当たってきた。
段々とできることが減っていく祖母に苛立って、祖母は祖母で偉そうにする息子が癇に障るのか、しょっちゅう喧嘩になっていた。
しかしだからと言って、父は祖母のことが嫌いなわけでは決してない。
むしろ深く愛していたと言って良い。
もし、祖母が徘徊をして何処かで転落して亡くなってしまったとして、父が殺人を疑われることもあるのだろうか。
もちろん実際にはそんなことは起こっていないが、本作は、そういう話だと考えることもできるだろう。
僕は、例えその嫌疑が真実であろうとそうでなかろうと、父の愛は疑わないだろう。