童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

Perfumeという依り代

1か月ほど更新をさぼっていた間、書きかけになっていた論文2報のお世話(投稿・改訂)をしたり、資格を取りに行ったり、その他面倒な仕事に追われたりしていた。
ただ、それより何より大きかったのは、僕の長い間の推しであるPerfumeのお祭りが開催されていたことが大きい。

Perfumeは、2020年9月末現在で30代前半(のっちだけ32歳で後の二人が31歳)のグループであるが、その歴史は古い。
今年は、結成20年目メジャーデビュー15年目に当たり、9月は「Perfume 15th & 20th anniv with you all」というキャンペーンが実施されていた。
中でも、メジャーデビュー記念日である9/21に行われたオンラインフェス"P.O.P" (Perfume Online Present) Festivalは、バラエティ番組やラジオ番組、料理企画から大トリのオンラインライブまで、7時間に及ぶ非常に濃度の高いイベントとなった。

www.perfume-popfes.jnatalie.mu

実は、現在もキャンペーンは継続中で、個人的にも非常に楽しみにしている衣装本の発売を控えている。
新型コロナの感染拡大を受けて、開場直前に中止が決定した涙の2/26東京ドーム公演以来(かくいう僕もその日のチケットを持っていた一人)目立った活動もなくなっていたわけだが、ここへ来てファンも大忙しとなっている。

さて、今回記事にしたいと思ったのは、キャンペーンの中で最初に発表された企画、映画「Reframe THEATER EXPERIENCE with you」についてである。

reframe-theater-experience-with-you.jp


映画『Reframe THEATER EXPERIENCE with you』予告編

昨年行われた渋谷公会堂改めLINE CUBE SHIBUYAこけら落とし公演「Reframe 2019」を劇場版に編集した作品で、2週間限定で公開されていた(一部地域では1週間程度延長)。
公演自体にも参加していたのだが、劇場版として編集されたものを映画館の音響で楽しみたいと、結局2週間の間5回も映画館に通いつめてパンフレットなどのグッズを買い漁るという、完全にチョロいファンとなり果てていた。

この作品を5回も観る中で、元々感じていた3人の凄さを改めて認識したので、この機会にまとめておこうと思う。
書いている内に愛が止まらなくなり、かなりの長文となって時間もかかってしまった。
しかも最後の方は、自分で読んでも最早意味不明である。
が、あまり反省はしていない。

 

"プロデューサー"の不在

Perfumeの周りには、数々のクリエイターやアーティストが存在する。

分かりやすいところで言えば、音楽を製作している中田ヤスタカ氏、振付演出を担当するMIKIKO先生は、ファンでない方々にも名を知られているところだと思う。
それ以外にも、古くからMVやジャケットの美術を担当してきた関和亮監督、演出の技術面を支えるRhizomatiksチーム、衣装デザインの三田真一さん…枚挙に暇がない。
彼女たち自身もそう言っているように、Perfumeファンたちは口を揃えて「チームとしてのPerfumeが好き」と言う。

ご多聞に漏れず、自分もチームPerfumeに夢中になっている一人なわけであるが、その中心にいる彼女たち、そして彼女たちを支えるチームの凄さは、いわゆる"プロデューサー"の不在にあると考えている。

 

僕が子どもの頃に日本の音楽界を席巻していたのは、小室哲哉というプロデューサーだった。
そしてその後も、ハロプロにおけるつんく♂氏やAKBグループにおける秋元康氏など、様々な"プロデューサー"が日本のエンタメを賑わせてきた。
いずれも、それぞれがそれぞれの手掛けるグループの全体をプロデュースしており、いわばグループ全体の"顔"になっている。

翻ってPerfumeにそのような存在がいるのかと言うと、少なくとも表立った人物は浮かばない。
中田さんは音楽を、MIKIKO先生は振付と演出を、それぞれのアーティストが自分たちの領域で責任を持って仕事をしているに過ぎない。
若い頃は彼女たちのお母さんたちがそんな存在だったと聞くが、現在は流石にそんなことはないはずだ。
敢えて言うならば、Perfume本人達になるだろうか。
しかし、彼女たちだってフロントマンではあるものの、全体のイニシアチブを取ってセルフプロデュースをしているわけでは決してない。

敢えて言葉を選ばずに表現するならば、誰も我が強くないチーム。
それぞれがそれぞれの得意分野で全体を良くするための提案と貢献を続ける、ある意味で究極のボトムアップ
それが、チームPerfumeの大きな特徴であり、凄さだと思っている。

 

"依り代"としての3人

そうしたチームにあって、Perfumeの3人は常に、脇を固める数々のクリエイターたちの完璧な具現者たらんとしている。
ファンはよくクリエイターたちを指して"神"と呼ぶわけだが、その意味で彼女たちは"依り代"である。

数年前、女王蜂のアヴちゃんとMIKIKO先生の対談インタビューで、彼女たちが"巫女"と表現される一幕があった。

www.cinra.netこれは、かなり僕の感覚に近いなと強く印象に残っていた。
が、今回映画を観ていて、彼女たちはもっとミニマルな存在になっている(なろうとしている)と感じた。

映画の元となったライブでは、彼女たちの過去の作品や彼女たち自身は次々と分解され、そして文字通り"再構築"されていく。
MVのワンカットに、歌詞に、声に、モーションに、シルエットに。
MIKIKO先生とRhizomatiksというクリエイターたちの、完璧な依り代となっている。
観客は、彼女たちを通すことで、その美術や技術にアクセスすることができるのだ。

Perfumeファンの人と話していてよく話題にされることとして、"口パク"問題というのがある。
自分もかつては、それを冗談めかして指摘されるとイライラしたものだが、今となってはどうでも良い。
何故なら、彼女たちは依り代としてそれを選択しているに過ぎないからだ。
本作での「VOICE」冒頭のように、必要があれば彼女たちは歌う。
それが、最も"神"を"神"たらせる最良の手段であるならば。
そしてそれを実現するために、彼女たちは不断の努力を重ねてきたのだ。

 

ここまで書くと、まるで彼女たちが無個性に徹しているような印象を受けるかも知れない。
ところが、実は無個性になることと唯一無二であることが全く矛盾しない、というところがPerfumeの稀有な点と言える。

分かりやすい例を言うならば、3人の"声"がある。
彼女たちが「ポリリズム」で大ブレイクを果たした際、加工された声に対する無個性の指摘が散見された。
そもそも声の加工がほとんどない曲も沢山あるじゃないかという反論はとりあえず置いておいて、当時はよく意地悪く「(彼女たちじゃなくても)誰でも良いじゃん」的なことを言われることが多かった。

しかし、「ポリリズム」でも何でも構わないが、良く聴き直してみて欲しい。
本当に、聴き分けられないだろうか?
彼女たちの声は、三者三様、かなり異なった声質なのだけれども。
むしろ加工によって、その違いが際立って聞こえることもあるくらいなのだけれども(それこそが中田さんの狙いだとも思うが)。

極限まで無駄なものをそぎ落として、そこから自然と浮かび上がる凹凸こそが、本当の意味での個性。
何かのインタビューで中田さんかMIKIKO先生が言っていた通り、3人は、それをずっと15年以上も大切に守り育ててきた。
そして、ファンもずっとそれを追いかけてきた。
だから、どんなに分解されて記号化されても、我々は彼女たちを感じ取ることができるし、また、彼女たちでなければならないと感じるのだ。
ある意味で、最強の個性である。
身体性と言っても良いかも知れない。
大体、髪型一つで誰が誰か同定できるようなグループ、他にどれくらいいると言うのか。

 

メディア"Perfume"

当然であるが、依り代であるPerfumeの成功は、同時にクリエイターたちの成功となる。
中田ヤスタカ氏は全国区の知名度となって故郷金沢駅の発車メロディを作るに至り、MIKIKO先生は東京オリンピック開会式を担当するに至った。
Perfumeがなくても彼らがそうなった可能性は否定しないが、世間の目を向けるのに、彼女たちの成功が大きな役割を果たしたことは間違いない。
また、彼女たちを通して、そうしたクリエイターたちがコラボレーションする機会を得た、というのも大きいと考える。

つまり、Perfumeとはどんなに切り刻んでも崩れない最強の個性を持った素材であり、クリエイターたちはそれを使って自由に遊ぶことができる。
実際、彼女たちのモーションデータを公開して誰でも自由に3Dデータで躍らせることができる企画など、それに近いことはかなり前から行われていた。
これは最早、メディアと呼んでも良いのではないだろうか。

そう思って見回してみると、現在、そうしたメディアのようなアーティストは多くいるように思う。
特にアイドル業界は、いまや様々なサウンドクリエイターがこぞって楽曲提供をして、アイドルソングは楽曲見本市の様相を呈している。
もうかなり前の話になるがヒャダイン氏がももクロに曲を書き下ろしたことは彼の飛躍に繋がったと思うし、ハイスイノナサの照井氏は惜しくも解散してしまったがsora tob sakanaで実験的な試みを多く行っていた。
これには、中田さんとPerfumeの成功が大きく影響しているのではないかと勝手に思っている。
どちらかと言うとCAPSULEとしてかも知れないが、クリエイターと歌い手という組み合わせのアーティストが増えたことにも、間接的に影響があった気がする。
水曜日のカンパネラORESAMA、最近だとYOASOBIなど、今後もっと増えていく気がする。

 

我々という"粒"

最後に、そんなPerfumeにとっての我々ファンとは一体何か、ということを考えてみたい。

今回の企画でも行われていたが、彼女たちの3Dデータをファンのツイートが点となって構成する、というお馴染みの演出がある。
P.O.Pフェスの間に、彼女たちが冗談めかして"粒"と呼んだことをきっかけに、すっかりファンの間で定着してしまった。
かく言う自分も、最初の企画のときから喜び勇んで粒となっていた一人である。
フェス以降、ファンのTwitterアカウント名に粒表記が続々と増えていったのには笑ってしまった。
これまでパフュクラとかパフュヲタとか非公式には色々と呼ばれてきていたが、ついに公式の呼称が決まってしまった。

粒たる我々に、Perfumeというメディア全体の何かを決める権限はない。
我々はただ、Perfumeに降りて顕現する神々を前に、毎度感激させられるだけの存在である。
しかし一方で、Perfumeの表現する音楽も、ダンスも、美術も、技術も、それが表現ある以上、我々という受け手がいて初めて完成する。
その意味で、確かに我々はメディアPerfumeの一翼を担う存在と言える。
だから、粒として彼女たちを構成することは何ら問題なく、我々は広義のPerfumeであると自称できるかも知れない。

 

度々行われる議論として、Perfumeはアイドルか?というテーマがある。
これに対して、僕には以前から明確な回答がある。
映画の中で極限まで記号化された3人を観ながら、その思いを新たにした。

彼女たちは、間違いなく、アイドルだ。
だって、彼女たちは神々を降ろす依り代なのだ。
どんなアイドルよりも、原義に近いアイドル(偶像)だと思う。
ライブは神々との交歓である。
行く度に覚えるあの多幸感。
経験したことはないが、宗教で感じるそれとかなり近いのではないかといつも思う。

粒と依り代と神。
何だかとてつもなく非対称な関係のように見える。
しかし、実はそうでもない。
そこが宗教と最も異なっていると思うのだが、依り代も神も、実は粒になる。
今回の企画において実際に、MIKIKO先生は3人との思い出をTwitterに投稿して自ら粒となっている。
3人だって、それぞれが公式アカウントを持っていないだけで、喜んで粒となるだろう。
だからこそ、我々は安心して粒でいられるのかも知れない。

しかし、依り代も神も粒となって形成されるPerfumeとは、結局何なのか。
宇宙なのかも知れない。