童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2023年12月20日

一昨日の日記で、落ち込んだ後輩に核心をついて状況を聞くと宣言しておいて、結局昨日は聞けず、ようやく今日になって何となくその話題を振ることができた。
それも、今日はだいぶ元気が戻って笑顔も戻っているようだったので、聞くハードルはかなり下がっていた。
自分はいつまでも臆病者だな、と少し情けなくなる反面、一応時間が色々と解決してくれているようで少しホッとしている。

ホッとしたからと言うわけではないが、仕事終わりに「屋根裏のラジャー」を観に行ってきた。


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決して悪くないし、それなりに感動もした。
イマジナリーの表現も、ワクワクさせるものがあった。
ただ、一つ大きく疑問だったことがある。
なぜ、この作品を今、世に出そうと思ったのか。
それが分からなかった。
もっと正確に言えば、作り手がこの作品に込めたメッセージが、現在の世界に必要だと思えなかった。

本作は、イマジナリーと呼ばれる想像上の友人を主人公にしたストーリーと言うこともあって、現実と空想、大人と子ども、生と死、その越境がテーマになっている。
大人になって現実を生きるようになると、イマジナリーたちは消えてしまう運命にある。
その中にあって、自分が信じた物語を大切に、彼らを胸の奥に留めながら生きること。
大人になって忘れがちな子どもの頃の想像や夢、宝物。
それこそがその人らしさの源泉になっていて、手放すべきではない。
…と言うあたりが本作の主張ではないかと思う。
少なくとも、僕はそのように受け取った。

確かに。
それは大切だし、正しいメッセージだと思う。
ただ、現代日本を見ていて、そのメッセージは果たして必要だろうか。
むしろ見たくない現実が溢れている昨今、子どもも大人も、みんなイマジナリーを抱えて現実から目を背けていやしないか。
猫も杓子も「推し活」に夢中で刹那的にお金を遣い、異世界に転生して無双する創作物の世界に引き篭もり、暗いニュースを最小限に大谷翔平の大活躍で勝手な優越感に浸っていないか。
本作では敵役として、大人になってなお空想を持ち続ける男ミスター・バンティングと言うキャラクターが登場する。
彼こそが、今の我々の姿に近いのではないか。

だとすると、僕の受け取ったメッセージは甘い蜜になってしまわないだろうか。
そのままそこに浸っていて良いよ、と言ってしまうことにならないか。
少なくとも僕は、今そうあるべきではないと思っている。
目を覚まして、少し汚い現実に目を向けるべきだと思っている。
その点において、本作の製作陣との意見の食い違いを感じてしまった。

そんな風に思ったのは、ここ数日、落ち込んでいる後輩に現実を突きつけるような話題を振って良いものか悩んでいたことと関係があるかも、などとこじ付けて考えてみる。
もしかすると、現実を前にしてショックを受けている彼にとっては、本作は良薬になったかもしれない。